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愛のかたち

某大学の大学院で安全保障を学ぶ女性から話を聞いた。
彼女は高校3年の時にインドに留学する。彼の地との文化的違いに目を開かれた彼女は国際政治を学ぶ道を選ぶのだが、ギャップを感じた第一が、インドの子どもたちが心底から愛国心を表明することだったという。それに対してなぜ自分は愛国心を語れないんだろうと。

それを聞いていた隣の男が深くうなずく。そうだ、やっぱり愛国心を教えなくちゃいけないと。

ちょっと待ってくれ。彼女の話はこう続いていたじゃないか。ギャップを感じた第二が、彼らが家族を本当に大事にすることだと。家族との時間をなにより大事にし、家族への愛をいつ誰にもはばかることなく表明する。それがなぜ自分にできないんだろうと。

つまりは彼我においては愛情表現のみならず、「愛」が指す内容と質そのものが違うのだ。
日本では愛は表明したり主張するものではない。そこにある、ということに安んずる、というのも言い過ぎかもしれない。安んじていると意識する必要のない状態、それが愛なのだ(それはそれで問題はあるが)。

愛国を教えなければならないと考える方への疑問。愛国教育は戦後教育批判とセットで称えられるが、その方たちが否定してる「戦後教育」からその方が抜け出すことができたのはご本人の卓越した能力ゆえか?自ら受けた教育を相対化できたのは自ら受けた教育ゆえではないのか(戦後教育を全否定しているわけではない、ということでしょうが)。

国際社会、というステージでいうなら、教えるのは愛より礼儀の方が有効と思う。他者がないところに礼儀はないのだから。

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