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『向田邦子の恋文』

寺報作成。
お彼岸法要の前にご門徒に届けるという締切ギリギリでの作業。なんとか明日には発送できそう。案内としては意味がないが。
いやほんとに締切があってこそできている仕事。って毎回同じことを言ってるな。

『向田邦子の恋文』DVDにて。

山口智子が演じる向田の、脆さを抱きながら押し隠しながらの健気さが本当に愛しい。

演出は久世光彦。思えば『時間ですよ』や『寺内貫太郎一家』に底流していた微かな暗さと、それを飲み込み首肯いていく健気さは、久世の個性によるものと思っていたがそうではなく、向田の生身の反映だったといまさら知らされた。

恋人役、伊藤雄之助を若くしたような彼は誰だろうとずっと思っていたが、エンドロールでやっと大口広司と判明。よくぞここに配してくれました。父親役の岸部一徳も母親役の藤村志保も、その他すべてがはまり役。

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Comments

いつも寺報「ポピンズ」の作成有難うございます。まず読むのは「坊守日誌」ですが、2~3ページの住職さん担当の記事も熱心に読ませていただいております。しかし、私の勉強不足のせいだと思いますが、住職さんにとっては簡単な事でも、私には難解な事が多いです。

今回の“自らが身をよしと思うこころを捨て、身をたのまず、悪しきこころを賢しくかへりみず。”は住職さんが学生時代にこの言葉に出会って愕然としたとのことですので、私なりに真摯に考えてみました。
以下は私が今回のポピンズの記事を女房に分かりやすく解説したものです。些細なことでも間違っている所がありましたら、どうぞ教えて下さい。

この親鸞様の言葉は我が身の悪や未熟を反省することが大切なのではなく、まず自分というものの事実をしっかりと十全に受け止めることが一番大切であるということである。

例えば、我々は他人に迷惑をかけた場合、10の迷惑をかけていても、自分を正当化したいために、せいぜい5くらいの迷惑しかかけていないと思ってしまう。しかし、その迷惑の内容を、その人の立場に立って徹底的に考えてみる。そして、自分の過ちの百パーセントを知れば、自然に反省や後悔の気持ちが湧いてくる。

つまり、自分の身勝手さ、無知、醜さを知ることが何よりも大切であり、いい加減な反省はするな、と親鸞様は教えている。

最初に住職さんのレコーディング・ダイエット成功の話がでてきますが、住職さんは毎日食べたものや体重の記録を見て、その事実に驚き、反省し、自然に食べるものが減ってダイエットが成功した。
(その一番大切なことが書いてありませんので、私達には分かりにくいのです。)

つまり、ダイエットの話と親鸞様の教えに共通することは、自分の事実をありのまま受け取る、ということである。

Posted by: 釋周満 | September 26, 2007 at 05:53 PM

分かりにくい文章で申し訳ございません。
お伝えしたかったことは概ねご理解いただいた通りです。
10を5と考えるのは自分の正当化のためではなく、反省という作業が加わることで紛れてしまうゆえだと思います。

Posted by: 住職 | September 27, 2007 at 04:17 AM

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