どこに
昨日の壮年会懇親会、延々約4時間でやっとお開き。
しかし後半2時間の記憶が私、まったくございません。家族の言によると、どうもその時間、残った役員1人とかなり盛り上がってずっとしゃべっていたとか。
本日、法話会にその方がお見えになった。開口一番、「いやー昨日は申し訳ありませんでした、私、全然覚えていないんですよー」と笑う。
すると何ですか、昨日のあの時間、生まれた言葉も思いも考えもが当事者二人ともから消えてしまっている。
跡形もなくなってしまったそれらの存在は、何と表現したらいいのだろう。
延立寺法話会の講師は藤原忠房師。親鸞聖人の生涯をご自身の日常に引き当ててお話された。
夕方、自殺問題にとりくむ仏教者によるシンポジウムに出席。
その中で、新聞記者の方から「宗教者の社会問題への取り組みとしてはまずキリスト者、そして大きく遅れて仏教者が続く。神社関係者はほとんどいない」という意の発言があり、その場にいた神職氏から抗議の声があがった。
分かります。熱心に取り組んでいる方はいらっしゃる。しかしそれが例外的に映ってしまうのは仏教界も大差ないところで。
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