公害と差別
東京仏教学院で基幹運動の講義。
テーマは水俣病。
先週のオウム真理教事件以上に、20代の人たちには知識もまして実感もない。
冒頭におおまかに事件の概要を説明した上で、テレビドキュメンタリー『記者たちの水俣病』を観る。
水俣病自体を問題にするのではなく、水俣病をマスコミがどう報じてきたか。どうミスリードしてきたかを検証したもの。水俣病の解決を長引かせ、被害を拡大するのにマスコミは加担したのではないかという問いに基づく。
水俣病を学ぶ上での最重要な視座は、原田正純氏の次の一言に凝縮されている。「公害のあるところに差別がおこるのではない。差別があるところに公害がおこるのだ。」
いつもの講義に比して受講生の発言が少ない。今年は私は手を挙げていない人から発言を求めることはしていない。感触としては発言はないものの反応は充分にあった。題材が重すぎたか。
講義中に私が「公害という言葉は今は使われなくなり、『環境問題』と呼ばれるようになった」と発言したところ、「今は公害はなくなった」という趣旨に受け取られて反論された。ちょっと言葉足らずだったでしょうか。
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