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無着さん

午後、延立寺藤の会&やまふじの会例会。
私の法話は、カレンダーの法語「阿弥陀は光明なり、光明は智慧の形なり」をもとにして、朝青龍、中川昭一、小沢一郎らと「世間」について。

夜、築地本願寺にてなあむサンガの集い。「宗教教育って何!?~無着先生、最後の獅子吼~」。出演されたのは無着成恭師、上田紀行師、本多静芳師。
上田師「宗教教育を考えるということは、宗教をいかに説くかということではない。この世の中に支えというものがあるという感覚を構築することだ。支えがあれば自由になれる。私たちが敗けることが怖いのは一度勝ってしまったから。捨てることは勇気がいる。が、それができることが成熟」
本多師「育つという言葉は『添え立つ』から転じたという説がある。犬の子は放っておいても犬になる。人は育て方によって鬼にもなれば仏にもなる。人に生まれた悲しみと尊さを思え」
パギやんの歌にちょっと泣く。パギやん、以前は大学で教育学を教え、予備校で英語を教えていたのを、50歳を前にして退職して芸人になった。青年期のパギやんにおばあさんがこう言ったという。「あなたが苦労してきたのはその分誰かを助けているんだよ」
無着師「学校の教育は正解があるのが前提。しかし宗教には正解はない。正解だったと言えるように生きるのだ。明治以来日本は正解を求めるのに汲々としてきた。目で見えるものだけを求めてきた。しかし正解はなく、正解と目に見えるものはまやかしなのだ。目をつぶってみえるものを観という。観を大切にするのが宗教だ」

http://homepage2.nifty.com/enryuji

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