なぜ大惨事となったのか
朝、ラジオで流れていた武村雅之氏(名古屋大学減災連携研究センター教授)の話が興味深かった。
関東大震災で最も被害が大きかったのは、両国、被服廠跡。軍服などの工場跡の空き地で2万坪にも及ぶ。
そこへ4万人が家財道具一式を持ち込んで避難し、埋め尽くされたところで火災が起きた。死者3万8千人。たった1ヶ所で。わずか2時間で。東京全体の犠牲者の6万9千人のうち、半数以上。
江戸時代、災害時に家財道具の持ち出しはご法度だった。避難の妨げになるばかりではなく被害が拡大することを経験上知っていたのだ。それが、わずか70年後の関東大震災時には忘れられていた。
関東大震災当時、調査した中村清二という東大の物理学教授がこう書いている。「同じ失敗を何度となく経験しても吾々は一向賢明にならなかったのである。大八車が自動車にかわることはあろうけれども」まさに、それが東日本大震災時の東京の大渋滞の姿。
夜、小学校で会議。
公開道徳授業で大人たちが寸劇を披露するという提案あり。よろこんで快諾。
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