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かつて私も

浄土真宗本願寺派東京教区では、10月10日に築地本願寺蓮華殿にて、自死者追悼法要を営む。そのスタッフ向けの事前研修会があった。

講師が仏教者に期待することを語る中で、胸に刺さったこと。

仏教を勉強しようと思ってまず正信偈を読み始め、愕然としたという。「この中には自分のことが何も書いていない。自分にはまるで関係ない」と感じてしまったというのだ。
もちろん、勉強や経験を重ねる中で、始めの印象は間違いだったと今は分かっているが、ほんの少しだけ、最初の印象はトラウマになって残っている、と。
あー、そうだった。その感想はまさに勉強をし始めた私が感じたことだった。今日その話を聞くまですっかり忘れていたが、確かにかつての私も、「ここに自分はいない」と思ったのだった。
始めは人はそう感じるものなのだろう。それをふまえて話をしなければ。

また、自死遺族は、自身がカウンセリング手法を学んでいる場合が少なくない。
そういう人から質問を受けて、うっかりカウンセリング的手法で応えると、「ああ○○派ですか」とマニュアル的対応をされたと不快に思われるケースがあるという。分からないでもない。

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