京都は寒い
午後、京都へ向う。昼間は暖かいのだが夜に冷えるとか。この時期は着るものが本当に難しい。と言っても手持ちの選択肢は多くなく、つまりコートを持つか持たないかの違いしかないのだが。
予約した車両を待っている間、新横浜は土砂降り。同じく列車待ちをしている客がへえーっと空を見上げるほど。一時だけで静かになったが。
京都は寒い。風も冷たい。真冬の格好で来てよかった。
京都の町を少し歩く。相変わらずこ洒落た店ができている。
が、結局私が向うのは馴染の店だけ。
午後、京都へ向う。昼間は暖かいのだが夜に冷えるとか。この時期は着るものが本当に難しい。と言っても手持ちの選択肢は多くなく、つまりコートを持つか持たないかの違いしかないのだが。
予約した車両を待っている間、新横浜は土砂降り。同じく列車待ちをしている客がへえーっと空を見上げるほど。一時だけで静かになったが。
京都は寒い。風も冷たい。真冬の格好で来てよかった。
京都の町を少し歩く。相変わらずこ洒落た店ができている。
が、結局私が向うのは馴染の店だけ。
午後、アミダステーションにて開かれている地域通貨イベントてんぐ市をのぞく。
晴天にも恵まれ、盛況。いい感じ。
その後、八王子に誕生したプロバスケットボールチーム、八王子トレインズの試合に行った。
体育館の回りの駐車場はどこも一杯。おおすごい人気じゃないのと思ったが、当日サブフロアでやっていたドッジボール大会の参加者の車も多かった模様。
しかし見事勝利!応援しているチームが勝つのはやはり嬉しいものだな。
多摩地区の浄土真宗寺院の協働事業、公開講座を武蔵野大学で開く。
ご講師は萬田緑平師。在宅で終末を迎えられるよう奔走している群馬の医師。
実に実に学ぶところ多し。
師によれば、死は苦しくない。苦しいのはがんばってしまうから。がんばれば苦しい。がんばらなければ苦しくない。人は笑って死んでいける。
なぜがんばるか。それは当人よりも家族の問題。家族の自己満足のために患者から楽しみや喜びを奪い我慢させがんばらせる。
萬田師はこれまで何千人と看取った中で、死の恐怖を訴えた患者はいなかったという。患者が戦いあるいは恐怖に思う相手は「死」ではなく、楽しみや喜びを奪われたまま苦痛を強いられる現状。
講演会終了後は吉祥寺にて慰労会。
内容も満足、集客もできた。ビールを美味しくいただく。
東海大学八王子病院にて右目の診察。術後は順調。酒も解禁。
視界はまだ焦点部分が歪んでいる。これは網膜が定着していないため。あと半年くらいはかかるかもと。
念のためにと左目を検査したところ、ところどころ近い将来網膜薄利の可能性がある部分が見つかった。予防的処置を施すことにする。
私の網膜剥離はやはり外部からの衝撃によるものではなかったのだな。
午前、築地本願寺にて自死遺族分かち合いの会にスタッフとして参加。
本日のご遺族は27人。この種の集いとしては最大規模と言っていいのではないか。スタッフの懇切な運営の反映と思うが、場所の力もあるのは確か。
来月は3月24日の彼岸明け。場所は同じく築地本願寺ですが、部屋が変わります。東日本間と太子堂。当日は係の者が案内に出ます。
八王子の某葬儀社で知人が事前説明を聞いてきた。
寺の本堂でしたいという希望を却下。寺での葬儀は扱っていないと。
その他の応対も、呆れるほどひどい。いまどきこんな仕事が通用しているのか。大手なのに。
その業者ではないが、先日お世話になった業者さん、こちらがダメと言った日程に葬式を入れてくる。
式場に行くとそこそこ広い駐車場に僧侶用の場所が確保されていない。
すでに一杯のため、遠くの第二駐車場へ。
なんですかねこれは。
最近、八王子駅前で雑誌『ビッグイッシュー』を売っていない。
初代の販売員さんは病気になったと聞いた。
それを引き継いだ販売員さんはどうも私とすれ違い傾向にあった。バックナンバーを頼んでも、私が買いにこなかったからと他に回してしまう。
その人もこの頃姿を見ない。
他で買うよ。
午後、延立寺法話会。
ご講師は菅原智之師。この人の笑顔は最強の武器だな。話口も聞きやすい。内容も深い。尊敬する仲間。
今日のキーワード「だってしょうがないじゃない」。そう、こう言いながら人は何も変わろうとしない。
八王子楢原町にできたコメダ珈琲店へ初めて入る。
開店してから2ヵ月余り。駐車場はいつもけっこうふさがっている。
本日も午後3時すぎなのに満席。10分以上待たされた。
席についてメニューを見る。パン類の食事が充実している。ビーフシチューなどもある。一方、スイーツは少ない。
ここは「食事もできる喫茶店」というより、「メニューが限られたファミレス」という感じ。
コーヒーはおいしかったが、待たされて使うところではない。
昼過ぎ、寺の電話が鳴った。「ご住職がまだおみえにならないのですが・・・」そうですよね、私ここにいますから。って、あっ、1時からのご法事、うちでじゃなかったのか!
霊園で受けていた法事を、うちにおいでいただけるものと勘違いしていた。
急遽向かい、遅刻して勤める。
あー、しくじったと寺に戻って衣が入っているバッグをおろそうとしたら・・・ない。
霊園の法事式場に荷物一式そっくり忘れてきた。
大丈夫か、俺。どうみても大丈夫じゃない。
原稿のネタを拾いにハンガリー映画『サウルの息子』を観る。
アウシュビッツ収容所で同朋の大量殺人作業に従事するユダヤ人が主人公。
彼が人間性を取り戻す鍵が「葬式」というところが非常に興味深かった。
ハンガリーは戦時中ナチスに同調し、ユダヤ人を収容所に送った当事者。その国でこんな映画が作られる。
ふりかえって。自画自賛大はやりで不都合な情報には「反日」レッテルを貼る我が日本では一方で、「0葬」などが提唱されたりしている。連関はあるのか。
八王子の寺に法話出講。
話の中で、親鸞聖人のご往生を80歳、と言いかけて、いや違う違う、90歳だよな、と思い直した。
あーーーーー、私、昨年末に広島で法話した時も築地本願寺で法話した時も、ずっとご往生を80歳と話をしていたことにたった今気づいた。なぜ???私の中でいつの間にかお釈迦さまの入滅時80歳とごっちゃになっていた。
広島でも築地でもお見えになっていた方は篤信の門信徒。僧侶の顔もいくつか。当然私の間違いには気づいていた。言ってくださいよー。今になって頭を抱えている私。
私、たまに基本の基本で間違いをします。「悪人正機」と板書したつもりで、「悪人正樹」と書いていたこともあります。
お願い。その場で指摘して。ケアレスミスを指摘して恥をかかせないようにという優しさからだろうが、その心づかいは決して優しさじゃない。
手術後の右目の回復は順調。
しかし、焦点があう部分がまだ歪んでいる。
街行く人を右目で見てみると、誰もが頭が極端に小さく見える。普通の体にマッチ棒の火薬部分のような頭がちょこんと乗っている。
つまり、私は人を見る時に、無意識に頭部分に焦点を当てているということ。
なるほど、これまでは自分が何に焦点を当てているかなんて意識したことがなかった。
DVDにて、映画『鑑定人と顔のない依頼人』を観る。
やられた。この終盤はまったく予想していなかった。
始めから観直す。観直すことができるのはDVDの強み。
なるほど、味わい深い伏線が張られている。
からくり人形についての対話が興味深い。
「その人形は人の質問に答えられたそうだ。中に小人が入っていたからだろうが、不思議なことに答はすべて正解だったという」
そして、繰り返し語られる「贋作の中にも真実がある」。その通りと思う。
ラストの鑑定人、私は幸福だったという立場をとる。
こういう映画を観ると、もっと映画を観なくてはと思う。
昨日の暖かさから一転、八王子は雪が舞った。差がありすぎだろ。
夜、東京仏教学院講義。
今年度最後。と言っても私は例年通り後期のみ、回数にして5回だけだったが。
今年度は20人の受講生。
20人いると、全体でのディスカッションはやはり難しい。指名すればそれなりの意見が出るものの、自主的に手を上げる者はいない。相変わらず私の話の振り方が下手なのですね。
それでも、今年度の受講生は例年に増して個性的な人が多かったように思う。念仏者の幅が広がるのはけっこうなこと。
ただ、自分の個性に固執しがちな傾向もちょっとだけ感じた。念仏の世界は自分の個性にもとらわれないことを教えていますよ。
暖かい。初夏の趣。多摩地区は風は心配するほどではなく、ただ快適。
夜、アミダステーションパーティー。
アミダステーションを利用している方たちが新装を祝ってくださった。会費500円で美味のつまみ付きって安すぎじゃない?
参加者の一人がこう褒めてくださった。「この場所のすごいところは、利用している人たちが横に繋がっていっていること。公民館などの他の場所ではこんなことはありえない」そう、まさに。
その場でお願いしたこと。この場所を愛してくださることはとても嬉しいのだけれど、それがガス抜きにならないでほしい。ここで何かの達成感を得てしまわないで、始める場所として先に進む足がかりになればうれしいと。そのためにほどよい狭さにしてありますので。
酒を飲まなくなって3週間。
利点が2つ。体重が減ったことと、夜に風呂に入れること。
私は飲んだ後に風呂に入ると、まず眠ってしまう。
うちの風呂は私の体からすれば大きくないので、眠ってしまっても溺れる可能性は少ないと思うが事故が絶対ないとはいえない。
で、飲酒後の入浴禁止令が出ていた。
となると特に寒い日、手足が冷えたまま布団に入ることになるが、寝つきが悪い。
今は湯船で暖まったまま布団に入れる。快適である。
アミダステーションの2階の壁3面をすべて本棚にした。自作本棚は奥行15cm。
そこに少しずつ延立寺の蔵書を運びこんでいる。今のところまだキャパの3分の1。
当初はここは、延立寺の不要な図書の置き場と考えていた。
が、ここにいたって本の背表紙を見ながら考えた。・・・棚がもったいない。不要な本は棚に置くべきではない。
方針転換。読まれるべき本をここに置くことにする。不要な本を選び出すのもそれはそれで楽しかったが、読まれるべき本をセレクトするほうが数倍楽しいのは言うまでもない。
夕方、知人のライブへ。
私よりたしか4歳上だがいやもう人生を楽しむことに積極的というか。
中年になってから始めたバンド活動は今やちゃんとギャラを貰えるレベルになっている。見事。
メインはプロのBARAKA。BARAKAのベーシストも実は空手仲間。いつもながらの大人のロック。大音量でもうるさくない。
退院後初の診察のため大学病院へ。
8時30分の予約だったのでちょうどその時間に行ったのだが、診察を受けられたのは10時近く。それだけ患者が多いので待たされても納得。
しかし納得できない人もいる。
本日も一人、待合室で、待たされていることへの不満を老齢の男性が事務員に訴えている。
横で見ていると看護師の指示にも従わない。そうやって我を張ることが自分の損にしかならないことをなぜあの年齢で分からないのか。いや、あの年齢だから分からなくなってしまったのか。
診断では術後は非常に良好。だが、あと一ヵ月はアルコールはダメ、埃が多いところでの作業もダメ、息を止めて重い荷物を持ち上げるのもダメ、との指示を受ける。ええー。今日で酒は解禁になると思っていたのに。
昼、いちょうホールにて八王子市仏教会主催の涅槃会が開催。私は法要に出仕した。
記念講演には釈徹宗師。八王子に釈師を呼べるとは。嬉しい。お話は
アカデミックでありながら一般の方々にも聞きやすい。さすが。
講演の後には各宗各流派の御詠歌披露。素朴なものが中心だが、本格的な声楽を駆使したものも。釈師は最後までお付き合いくださった。
寺の掲示板に紙片がテープで貼ってあった。
はがして中を見てみると、手書きのメッセージ。
「こんな切ない言葉を掲示するな」という訴え。
現在掲示してある言葉はこう。「人生一生 酒一升 あるかと思えばもう空か」
メモを書いてテープで貼り付けるというのはそれなりの労力。それだけこの言葉が気にさわったということだが、つまりはそれだけこの言葉に力というか、ある意味での真実があることの証左。
メモの主は、私がずいぶん以前に描いた掲示標語を示して、このような人を励ますようなことを書け、という。つまりは期待をしている。
励ます言葉も、耳に痛い真実の言葉も、仏教は両方提示します。
昼、家族とディズニーランドへ。
長女が幼稚園年長の時に、ここで鼓笛隊のパレードをした。その時以来だから11年ぶり。
好天でありながらけっこう空いているほうだと思う。ファストパスが必要なところははなはなからからねらわず、長くても15分待ち程度のアトラクションをいくつか楽しんだ。
絵に描いたような休日。
午後、八王子いちょうホールへ、八王子市内の小中学生を対象とした読書感想画・感想文コンクールの表彰式に行った。
受賞した作品群に素直に感心する。感想文はまあ、よくできました、というある意味定型的なものが多かったのは仕方なかろう。
だが感想画は自由度が高く、楽しめた。
私は読書は好きだったが、読書感想文は大嫌いだった。そういう人は少なくないと思うし、今の子も変わりはないだろう。評価の対象ではない、大人に褒められなくてもいいという感想文指導はできないものか。難しいよな。
会議のため京都日帰り。
京都は暖かい。気温は17度くらいじゃないか。
風がなく、日差しが心地いい。いつまでも味わっていたい。
が、長居することなく帰京。医者から酒を止められているので。
酒が飲めなくては京都に用はない。
帰りの新幹線の中で、さっきの会議で私が言うべきだったことをやっと思いついた。頭の回転が遅すぎ。いつもながらのこの時間差がもう少し縮まればもうちょっと私も貢献できるんだが。
右目は急速に回復しつつある。
昨日は水の中を泳いでいるような視界だったが、今日は出来の悪いガラス越しの景色。しこたま飲んだ時の視界と言ってもいい。とすれば、私のほぼ日常の視界。
夜、アーユスデイ。
アーユスの新事業である、ブレークスルー支援の対象団体を公開プレゼンで選ぶ。
これ、正直どんなもんかと思ったが、予想をはるかに超えて面白かった。
課題を認識し、それを超えようと努力している人たちの姿は美しい。一応選考はせざるをえないわけだが、どなたの課題も共有に値する。
アーユス功労賞は新宿経王寺の互井観章師。現代仏教界を代表する傑僧。
夜の懇親会の司会は私。
リレースピーチでマイクを回していくが、みなさんそれぞれの歓談に夢中になり、スピーカーの話を見事に聞きません。それにめげずにスピーチする胆力は運動家には必要なのだよ。
司会として大きなしくじり。互井師にマイクを渡さなかった。彼ならあの喧騒もものともしないはずだったのに。
昼、退院。
病院の皆さまには大変お世話になりました。おかげさまで快適でした。入院のご縁がありましたら東海大学八王子病院はお薦めです。
入院中は一歩も病院外には出なかった。
2週間ぶりの犬目。まだ雪が残ってます。
入院中はずーっと裸足で過ごしていた。が、やはりうちは寒い。
靴下を履いた足を石油ストーブにかざすが、なかなか暖まってくれない。
飼犬クウとも2週間ぶり。忘れられて吠えられるかとも思ったが、そういうことはなく。かと言って歓迎するでもなく。いつもの帰宅時のように一通りの点検作業の後は興味なしの様子。
退院が明日に決まった。
思い返すと2週間の断酒。こんなに長い間飲まなかったのは40年ぶり。
また、2週間1回も本屋に行かず1冊も本を買わなかったのは50年ぶり。
実に貴重な体験をさせていただいた。
この2週間、朝昼晩3食きっちり食べてうつ伏せに寝てるだけ。治療は毎日の診断の他は点眼だけ。こりゃ太るなーと思っていたが、本日は2週間前に比べて2キロ減!。
理由は2つ考えられる。酒を飲んでいないことと、間食をしていないこと。つまり現在の体重が私の適正体重ということか。
もう2月・・・。
病室の同フロアにあるティースペースに行く。
と、そこで点滴中の先客の顔に見覚えが。
え?中学時代の同級生。こんなところで何してるの。
ってもちろん治療ですが。
会うのはたぶん中学の同期会以来。とすると、5年ぶりくらいか。
しかし彼、「お、まっちゃん」とさして意外そうでもなく、一週間ぶりくらいの応答。
お互いこれからこういうことは増えるよなあ、としみじみ。そういう歳になった。