地元仏教会が動き出している
年度末。区切りというのはひとつの締め切り。
締め切りのおかげでいくつか仕事が進んだ。
夜、八王子市仏教会で、地域貢献として何ができるかの会議。
市役所の生活自立支援課におつとめの方から多くのアイデアをいただきながら。
この市役所の方、ご自身が駒沢大出身とのこともあり、寺院に親しみと期待を持ってくださっている。行政と宗教者が協力するという他では難しい取り組みが、八王子はできる環境にあると思う。
年度末。区切りというのはひとつの締め切り。
締め切りのおかげでいくつか仕事が進んだ。
夜、八王子市仏教会で、地域貢献として何ができるかの会議。
市役所の生活自立支援課におつとめの方から多くのアイデアをいただきながら。
この市役所の方、ご自身が駒沢大出身とのこともあり、寺院に親しみと期待を持ってくださっている。行政と宗教者が協力するという他では難しい取り組みが、八王子はできる環境にあると思う。
私の手帳の今日のページに、記憶にない電話番号が私の乱れた筆跡で記してある。一応判読可能。
その上には、その番号の主と思われる氏名が記してあるが、書きなぐられているため判読不能。
酔った時にメモしたのは確かだが、どの酔った時かは不明。
番号にかけてみて、あなた誰、とは聞けないしな。何の用、とも聞けないしな。
何だろう、何か連絡するよう約束したのだろうか。
先方から連絡をとってくれればいいのだが。
午後、アーユス理事会。
娘のライブに行った。メンバーは高校の同級生。これが解散ライブ。
実に楽しそうにドラムを叩いている。いいものを見た。
娘は高校卒業を機に、髪を金に染めた。ボーイッシュな娘には意外なほど似合っている。いいじゃない、と伝えたがそれが周りには意外だったそう。「お父さんよく許したね」と言われると。
それだけでなく娘は、父が自分に関心がないと思っていると母親経由で聞いた。
その話を聞いた長男は、自分も父は子ども3人に関心がないんじゃないかと高校時代は思っていたという。
そんな思いをさせていたのか。
確かに私は子どもたちと距離があることは自覚している。それは私が彼らの年齢だった時代、親からの干渉を嫌ったという自分の記憶に基づいている。
それが無関心と伝わっていたなら私の不徳の致すところ。これから修正はできるだろうか。
同和問題に取り組む宗教教団東京地区連帯会議の会議。
6月に予定している総会の記念講演の講師を検討。
私が提案した、LGBTをテーマに活動されている中村吉基氏に連絡をとってみると、早速にOKのお返事。「教団執行部からは異端扱いされていますが(笑)」とご本人。あれだけマスコミに好意的に取り上げられていてもよく思わない人がいるのか。取り上げられているから逆に、ということはあるのだろう。
日にちは6月13日。
日時を決めてから、友好関係にある某集会とバッティングしていることが判明。後から決めた我々が譲歩して、こちらの総会の開会時間を夕方からに変更した。
午後、延立寺役員会。
例年は年が明けてまもなく、新年会を兼ねて開催しているが、今年は都合により今日までずれ込んだ。門信徒会費の決算承認とともに、今後の活動計画のご意見をいただく。
いままで寺に来ない人をどう引き入れるか。いや、寺に来ながら墓参りだけですませている人こそターゲットにすべき、などなど。古くて新しい話題。
寺で合コンをしよう、送迎車を出そうという、なども。
武蔵野学園の子どもたちとのスキー2日目。雪が降るがコンデションは悪くない。
初めてスキーに来た子、全員が滑れるようになった。その喜ぶ様子は本当にこちらが贈り物をもらった気分。
スキー教室が始まってから6年ほど。
最初は子どもたちと大人の間に距離があったという。それが回数を重ねる中で、心を許してくれるようになった。
私が参加するようになったのは3年前から。
子どもたちのスキーにきっちり付き合ったのは今回が初めて。一応戦力にはなったと思う。
これ、いい事業だな。
昨夜東京を出発し、今日は朝から晴天の下でスキー。
児童養護施設の武蔵野学園の子どもたちを招待してのスキー教室。
私は今回スキーが初めてという子どもたちの班に入り、簡単な指導をした。
初めてにも関わらず、みんなちゃんとスキー板に乗っている。
日焼けが心配になるくらいの日差し。
夜は大人といっしょになってのお楽しみ会。おじさんたちを混ぜてくれてありがとね。
昨日、築地本願寺を出ようとした時、ある男性に満面の笑みで声をかけられた。
「私はあなたのことを恨んでいたんですよ」。ええっ。「でも、本願寺の機関紙に掲載されたあなたの原稿がとてもよくて、認識を反転させました」という。
後段はともかく前段の恨みの理由を聞くと、一昨年に私が築地本願寺で行った法話。ふざけていると思ったそう。「私の好みに合わなかったというだけですけど」とおっしゃる。あー、私の法話にそう感じる人がいるのか。知らせてもらって感謝。
午前、自死遺族分かち合いの会にスタッフとして参加。
この会は自死遺族の方を対象とし、それ以外の方にはご遠慮いただいている。
今日もひとり、勘違いしたと思われる人が入場。「自死遺族ですか?」と確かめるとそうだという。でも、やはり様子が違うので「ご家族が自殺されましたか?」ときくと、とんでもない、と怒って出て行った。
「じし」という言葉はまだまだ一般的ではないということ。
火葬場で。
読経の初めに引磬(いんきん・携帯用かね)を叩いてびっくりした。
いつものちーーーーーんという音ではなく、ガツ、という音。響かない。
かねの音なしで読経をすませた後に確認したら、割れ目が入っていた。
記憶にないが落としてしまったのだろうか。
小ぶりだがとてもいい響きをしていた。私が僧侶になって以来、34年間ずっとお世話になっていた。
最後に使ったのは、昨日の恩師の収骨の時だ。恩師とともに逝ってしまったのか。
お世話になりました。
南無阿弥陀仏。
恩師の葬式。昨日の晴天とは変わり、冷たい雨が降る。
朝、Facebookを開いてみると、昨日の通夜に列席していた元同級生の書き込みが数件あった。「先生と出会っていなかったら今の自分はない」と。
私も同感。今の自分が何ほどということではなく、今とは違った形になっていたことは確実。
本日は前住職の命日でもある。三十五回忌。丸34年。それはそのまま私の住職歴。
昼、延立寺彼岸会法要。
勤行では、先日得度式を受けた長男と、初めて二人で人前で勤めた。
長男の勤行は、習ったばかりでもあり、私より正確で上手。
延立寺の新しい歴史が始まった。どうぞよろしくお願いいたします。
法話では、恩師への思いを語る。そして「サヨナラに強くなれ。この出会いに意味がある」と。
夜、恩師の通夜。私が導師を務めた。
式場から人が溢れた。
MacBook Proがやーっと届いた。
注文したのが2月5日。納期は1ヶ月見てくれと。
アップルストアを見ると2週間程度とある。まあいいか。
1ヶ月経っても届かない。催促したのが3月5日。
その時には、アップルストアだと納期は1週間後と提示されている。
再催促したのが3月15日。そして昨日着。
発注を忘れていただろ、と再催促したときに販売店員にただしたところ、そんなことはない、確かに2月5日に発注しているという。それが本当なら、Appleからよほど舐められているんだな、ソフマップ新宿店は。
まあいいよ。現行機が故障しての買い替えではなく、1ヶ月間、ちょっと重い思いをした以上の実害はなかったのでね。
ソフマップ新宿店。舐めているのか舐められているのか。いずれにしろここで買い物をすることはもうないな。
ヤフーオークションに私が前から憧れていたスピーカーが出品されていた。
30年前に発売された日本製。高価だがそれでもメーカーとしては赤字だったという、採算度外視の伝説的製品。今後再発されることは絶対にない。
希望価格も安くはないが相場以下。これを見逃すと、次に出品されるのはいつになるか分からない。
迷った末に見送った。
適当な置き場所を考えられないので、私が入手しても猫に小判になるのが濃厚だったし。
いったん諦めるとすっきり。スピーカーに投下しそうになったお金の一部で、前から購入を思案していた本を購入。それはそれで猫に小判だが。
午後、八王子いちょうホールにて「葬儀を考えるシンポジウム」。私はスタッフとして参画。
4時間という長いシンポジウムだったが、長さを感じさせない面白さ。8割がた埋まった聴衆も途中退席はほとんどなかった。
以下、一言づつメモ。
(山田慎也)死者をきちんと忘れるための手続きとして葬式は作用してきた。死者によりそう時空間の構築が必要なはず。
(薄井秀夫)一般の葬式は退屈。参列者と宗教者の断絶がある。参列者をお客さん感覚にしてしまっている。亡き人とつながる物語が必要。
(溝口勝巳)故人・導師・遺族・参列者の思いをつなぐ場としての葬儀。
(福島泰樹)たこ八郎、立松和平とともに私はある。死者との共生。死者になっても実存する。
寒い。気温は真冬。が、今日は3月も半ば。名のみだが春は春。モコモコのノースフェイスのダウンジャケットは着る気になれない。誰かの目を気にしているわけでは全然ないのだが。厚手のヨットパーカの上にスタジャンを重ねて外に出た。
午前、ポピンズ作成。
午後、藤の会の皆さまのお力を得て、速やかに発送作業終了。
先日傷つけてしまった車のバンパーを修理。綺麗になって戻ってきた。
傷は実用上はまったく問題なかった。それを直すのは無駄じゃないかと思ったが、違うな。直したのは車だけじゃない。傷つけてしまった時の自分の精神もだ。少なくない出費によって精神を鎮めてもらった。
ゆうべ,酔ったまま書庫に入った。
いくつかの本を見ながらつくづく思った。なんでこんな本を買っちまったんだ。
棚からいらない本を抜いていく。たちまち山になる。これ、売っちまおう。
抜いた本のほとんどは宗教関係。
宗教者としての責任上から、くだらないと思える本も手元に置いてきた。
が、もういい。そんな本にスペースを埋めさせなくていい。
今朝になって、ゆうべに積み上げた本を見直して、何冊か棚に戻した。しらふの時は、思い切った整理は難しい。
ゆうべ、寺ネットサンガ例会。
担当は真言宗豊山派の増田師。
前夜に自作したという紙芝居を披露してくださった。題は「108ボンボンじいさん」。いい話。
築地がん研に入院していた先生が、広尾日赤医療センターへ転院したと連絡をいただき、見舞いに。
わずか4日で急に進行してしまった模様。私が来ていることはおそらく了解されていると思ったがさだかではない。
午後、僧侶研修会に講師として出講。
東京教区内で、貧困対応的な活動をしている寺院を紹介。
時間配分を間違え、前提部分で3分の2使ってしまい、肝心の活動紹介は駆け足になってしまった。申し訳ない。
が、「人権啓発」という枠には収まってたよな。
以前に別の僧侶研修会で「日本会議」について話したときには、「人権啓発」とは認められずに補助金を受けられなかったという迷惑をかけてしまった。
書斎に書類が山積みになっている。雑然としている。嫌なオーラを放っている。
不快なら片付ければいいじゃないかと思うが、それができない。
私は、仕事を並行して進めることが年々苦手になってきた。ひとつの仕事を前にすると、他の仕事に手をつけられない。ううむ。
私の愛用の腕時計、オメガは自動巻。
放っておいても3日間くらいは動いていた。
それがここのところは1日放っておいただけで止まってしまう。
オーバーホールに出したほうがいいのか。
前回オーバーホールに出してのは3年以上前で、その時にもすでにアンティーク扱いされていた。
これまでは夜寝るときは外していたが、付けて寝るようにしようか。
午後、築地がん研中央病院へ。
1日から高校の恩師が入院している。
エレベーターの中に、花の見舞いお断りと掲示がある。感染症防止のため。なるほど。
先生は痰がからんで苦しそうではあるが意識ははっきりして、少しの話はできた。
亡くなったあとのことも笑いながら。
恩師は、私の龍谷大学入学に尻を押してくれた方。この方がいなければ、確実に、今の延立寺の姿は変わっていた。それが良かったか悪かったかは別にして。
昨日は映画の前に法事5件を勤めた。
今日は法事3件。ご依頼いただくのは大変有難い話ではあるが、肉体的にはきつくなってきた。喉だけではなく、全身が疲れる。50代後半の私。
日常的には五十肩が再発。左肩。水平以上に上がらない。荷物を持ち上げようとして激痛が走ることがある。右肩も万全ではない。
反面、目は確実に改善しつつある。と言ってもゆーっくり。3ヶ月前よりはズレがいくらか少なくなってきたかな、という程度。まだ雨の夜の運転はとても怖い。
夕方、渋谷アップリンクにて映画『アラビアのロレンス』とトークショーで中東問題を考えようという集い。アーユスの企画。
私は『アラビアのロレンス』を観たのは初めて。私は基本的に3時間以上の映画は観ないことにしているので。
しかし長さは杞憂だった。退屈した時間は一瞬もない。なぜか尻もまったく痛くならなかった。
前半はロレンスの英雄ぶりが圧倒的な映像美とともに描かれ、後半はロレンスが壊れていく様と現代中東問題とが重なっていく。
映画後のトークショーもとても面白かった。ムスリム研究者と、映画に造詣が深いNGO関係者による作品の掘り下げ。贅沢なひととき。
3時間以上というだけで敬遠していたことは人生の損失と思い知らされながら、今日まで観ていなかったことは幸運だったとも思えた。
アミダステーションにてドキュメンタリー映画『0円キッチン』上映会。
オーストリア、ドイツ、オランダ、ベルギー、フランスを旅しながら、それぞれの土地で、賞味期限間近などの理由により廃棄された食品を使って料理をふるまう。食品ロスを訴える内容なのだが、ちょっとやり方がストレート過ぎて鼻につく。完全に上から目線。これでは気づきは与えられないと思うし、生活の変化も望めない。
同様のコンセプトの企画は日本にもある。というか日本の方が先じゃないか。鉄腕DASH、TOKIOの0円食堂。こちらは捨てるしかない、ゴミそのものの食材を貰って料理を作る。もちろん番組的には演出もヤラセもあるだろうが、そこには、食材への感謝も生まれる。『0円キッチン』とは趣旨が違うので当然だが、印象はまるで違う。後者は気持ちいい。
目的は何か。主張することか。変えることか。後者であるなら、もうちょっと考えよう。
マレーシア映画『タレンタイム』を観る。
2009年製作ながら今まで日本国内では劇場公開はなかった。上映会などで噂を広めながら、この春にようやく劇場公開。
マレーシアの高校で音楽会が開かれることとなった。オーディションを通った高校生たちのそれぞれの生活模様を描く。大きなドラマがあるわけではない。が、多民族多文化が共有するマレーシア、それぞれに葛藤がある。世界的に排外的空気が蔓延する今こそ響くメッセージがある。
作品中、オーディションに受かりながら不安になり「輝きたくない」と訴える少女に「輝いているかどうかを決めるのはあなたじゃない」と諭す先生。いい言葉。
もう3月・・・。
『男たちの旅路』のシナリオ集をまた買ってしまった。版違い。
NHKで放送されたドラマ『男たちの旅路』のシナリオ集はこれまで3種類出ている。私はそのすべてを持っている。ずるいことに、少しずつオマケが加わっているので。先日新たに4種類目が出版。これまで他の本には未収録の山田太一作品一本と、新たな前書きが付してある。そりゃ買うしかないじゃないですか。
私はAKB商法に踊らされている人たちを笑えない。