戸惑う
アーユス臨時理事会。
重い議題。空気も重い。
想定しないわけではなかったが、展開が急だった。
戸惑う。しかし事業は待ってくれない。ともかくも前に進む。
夜、次男の誕生祝い。次男の指定で和食。
初めての店でシステムに戸惑う。注文の仕方が分からない。店員もまだ慣れていない様子で、戸惑っている私とともに戸惑っている。
それはそれとして、ほっとする時間を過ごさせてもらった。
アーユス臨時理事会。
重い議題。空気も重い。
想定しないわけではなかったが、展開が急だった。
戸惑う。しかし事業は待ってくれない。ともかくも前に進む。
夜、次男の誕生祝い。次男の指定で和食。
初めての店でシステムに戸惑う。注文の仕方が分からない。店員もまだ慣れていない様子で、戸惑っている私とともに戸惑っている。
それはそれとして、ほっとする時間を過ごさせてもらった。
朝、本堂の仏華の水を替える。
・・・お湯になってます。しまった。この季節は1日に最低2回、できれば3回替えなければいけなかった。
花が1日でしおれてしまう。
本堂の花用の製氷機を導入しようかとも思ったが、それより、水替えの習慣をつけよう。
朝、境内でミンミンゼミが盛大に鳴いている。
気象庁から関東地方梅雨明けの発表。それは伊達じゃない。いきなり猛暑。
暑い。なのに書斎には冷房がない。私自身は扇風機と濡れタオルで凌いでいる。
暑さのせいだろう、Macが遅い。入力ものったり。ネットも遅い。触ってみるとやはり熱い。
扇風機の風を当ててやれば反応が回復するだろうか。Mac専用の扇風機を導入すべきか。
夜、八王子で葬送儀礼を考える会例会。
真言宗の葬儀について、本間啓庸師からレクチャーを受ける。時間がわずか30分しかない中でかなり広い範囲まで目配せしての講義。非常に興味深かった。私がどれだけちゃんと理解しているかは怪しいが。
真言宗の中心課題は即身成仏。供養と祈願の生活がそのまま即身成仏への修行生活。葬儀もその一環。なるほど。
後の懇親会で、同席した人に私の仏教観を披瀝したところ、「松本さんの仏教は知に偏ってませんか」と指摘された。ような気がする。かなり呑んでいたので定かではないが。その指摘、当たっていると感じた記憶がある。
午後、アミダステーションにてドキュメンタリー映画『美味しいごはん』上映会。
自然食レストラン「ゆにわ」グループを立ち上げた“ちこ”さんとその周辺。
ゆにわグループは古神道の思想を底流に持つ。ま、神道自体が明確な教義を持つものではないが、あらゆるものに感謝をすることを基礎としている。映画の途中で神道研究家が登場して解説をするのにちょっと違和感を感じる人はいるだろうと思ったが、全体としては美しい作品。私たちの体は食べたもので出来ている、私たちの精神も食べたものに影響されている,という。かなり納得もできる。
今回もあまり宣伝が出来なかった。にもかかわらず見つけてくれたおいでくださった方々に感謝。
シャラナ合宿二日目。日蓮上人誕生の地へ。
先日の寺ネットサンガに続き、日蓮づいている。
ここ小湊は鯛が特別天然記念物。鯛は通常は深海に生息しているが、ここの鯛は水深わずか20mのところに棲んでいる。非常にめずらしいとのこと。
船にのり、水上で撒餌をすると確かに赤い魚影を確認。あんなにはっきり見られることはめずらしいとガイドさんも驚いていた。シャラナ会員僧侶の霊験か。
ここの地元の人は地元の鯛を食べない。食べると不幸が訪れると伝えられている。たまに網にかかるらしいが、漁協では冷凍して保存した後、火葬して骨は埋葬する。その鯛法要が毎月勤められているという。地元の人も、他所で獲れた鯛は食べるそう。
鴨川では、知人が経営するパン屋に寄る。知人は不在だったが、堅実に営業している様子が嬉しい。
午前、自死・自殺に向き合う僧侶の会(シャラナ)主催による自死遺族分かち合いの会。
参加者、50名。これまでで最高数。
しかしそのうち一名は、分かち合いには加わらなかった。まだそれができないと。参加者とこの後に昼食をご一緒するためにおみえになった。
そういう方は少なくないと聞く。築地本願寺まで足を運びながら、中へは足を進めない。中に入るだけで勇気がいる。体験や気持ちを口に出せない人は大勢いる。
だから、お見えになった方には安心できる時間と場所を保障するよう迎える側も努めている。
分かち合い終了後、車に分乗して千葉へ。シャラナ合宿。同志の僧侶たちが思いを語り合って夜が更ける。
今朝のTBSラジオ「伊集院光とらじおと」で聞いて驚いた話。
今の通知表は「とても良い」「良い」「どちらかといえば良い」の3段階になっいると。
子どもに否定的な評価はしないようにしているらしいが、それってどうよ。
ダメなものはあるでしょう。伊集院光も言っていたが、算数で3+4=に9と答えたら「どちらかといえば良い」なのか?
これ、社会全体の風潮に重なる。否定が過大視過剰視される。ひとつの行為や結果への批判が全体批判や人格否定と同一視されることもある。
政権批判が即「反日」と反発されるのも同じ流れではないか。
蒸し暑い。延立寺境内ではセミが盛大に鳴き出した。
街の空気は真夏のそれ。私的にはもう梅雨明けしている。
知人のお連れ合いのお通夜へ。
会場はお寺の中の施設だが、無宗教のお別れ会。
柩の脇にマーカーが置いてあり、柩の各面に直接寄せ書きがされている。
私は故人との面識はないので、書き込みは遠慮したが、書かれているそれらを読むと初対面の故人が偲ばれる。
南无阿弥陀仏。
午後、延立寺法話会。ご講師は川崎から宮本義宣師。
「聞く」ということについて。宮本師の語り口はいわゆる説教師のそれとは対極にある。「できあがったお話」を演じるのではなく、その時々の自分の思いを語られる。その姿勢を私は支持する。
夜、日本橋にて寺ネットサンガの坊コン。今日のテーマは「日蓮という人がいた」。担当は池上の吉田尚英師。
聞いてみて、私が日蓮の思想にこれまで触れてこなかったことを知る。非常に新鮮。日蓮宗内には四箇格言はまだ有効だそうで、そんな中で他宗派と積極的に関わっている吉田師の存在はありがたい。
寺ネットサンガでは今年から宗祖シリーズを始めた。前回が親鸞、今回が日蓮。次は空海か。サンガにいる真言の傑僧による空海論、実に楽しみ。
フリーマーケットサイト、メルカリを多用するようになった。
買うのは専ら本。それも刊行されてすぐのもの。
メルカリは古本屋サイトやヤフーオークション、Amazonと比べると本全体の出品数は多くはない。しかし新刊の出品は圧倒的に早い。送料込だとAmazonより安い。
私はまだ出品したことはないが、ちょっと時間に余裕があるなら古書店に売るよりメルカリに出した方がずーっと高く売れるのは間違いない。
こうしてまた本が増えていく。
夜、八王子とうろう流し。私は実行委員長として挨拶。来年は実行委員長を交代するので、最後の挨拶。ちょっとは独自な色を出そうとしてみたが、準備不足で冗長になってしまった。申し訳ない。ああいう場所では内容不要で短い方がよかったとは分かっていたんだが。
ちょっと蒸す感じだが、むしろ夏らしい。水量も多い。
浄土真宗本願寺派東京教区のウェブサイトに教区内寺院の紹介コーナーができることになり、そこに延立寺を掲載してもらうための取材を受ける。
プロのインタビュアーの方が乗せ上手だったこともあり、まるまる使われないことを信頼してけっこうぶっちゃけで話させてもらう。あれがどうまとまるか、お手並み拝見。
夕方、アーユスミーティング。
重要な案件発生。緊急の理事会を招集することとする。
私は本はけっこう買うが、フィクションはほとんど読まない。唯一マンガは読んでいたがそれもここのところは読まなくなっていた。
本日、久々にマンガを読んで、久々に時間を忘れる経験をした。危うく仕事に遅刻するところだった。
そのマンガは伊図透『おんさのひびき』。
まだマンガ読みに復帰する予感。
新宿紀伊国屋書店にて。今年上半期の売上順に書籍が陳列されていた。
その上位に挙げられていたうちの一冊の本を私は存在さえ知らなかった。立ち読みしてみるとなんともつまらない本。この店では今年こんな本が上位になったのか。
どんな本を並べているかはもちろんだが、どんな本が売れるか、どんな客がついているかはその店の質を反映する。
新宿紀伊国屋、かつては文化を担っている気概が確かにあった店。それがなんだかなあ。
なぜだろう、腰が痛い。
重い物を移動させたということもない。運動をしたわけでもない。
いや、むしろ運動をしていないことが腰痛を招いているという可能性の方が高い。
しかし運動不足は今に始まったことではないが、なぜ今。
ぎっくり腰に悪化しないよう、中腰など腰に負担をかける姿勢は極力避けている只今。
延立寺盂蘭盆会法要。
私の法話では金子みすゞの詩と住宅顕信の句を紹介した。
金子みすゞは現在でこそド定番だが、1930年に亡くなってから忘れられて久しく、矢崎節夫氏により再発見されたのは1984年。翌年にはいきなり東京大学の入試試験に採用されるほどメジャーになった。それからまだ35年ほどしか経っていない。
これほどの作品群を埋もれさせた先輩たちを私はつい軽んじてしまう。
住宅顕信の句は苦いものが多く、金子みすゞのようには広まりづらい。しかし両者とも阿弥陀さまのまなざしのど真ん中にいた。
知人の近所のスボーツクラブの話。平日昼間は高齢者で一杯だという。体力作りに熱心な高齢者が増えたのかと思いきや、彼らの第一の目的は大風呂。一人暮らしや老夫婦だけだと風呂を沸かすのも光熱費がかかる。それ以上に浴槽掃除が面倒と。スポーツクラブの会費は平日昼間限定の会員であれば、銭湯代と変わらない。というよりそもそも銭湯がない。で、開店待ちの行列が必ずできるのだと。
聞いて納得。スボーツクラブは現代の銭湯である。
ま、うちから歩ける範囲にはスボーツクラブも銭湯もないが。車で数分なら、ゆったり館があるけど。
村田 諒太、見事なKO勝利!
その前の、拳四朗も見事なKO勝利!
その時間、私はテレビの前にいた。テレビではボクシング中継を放送していた。
しかし、両試合とも、最初のダウンの瞬間を見落とした。画面から目を外していた。村田の試合に至っては、音さえ消していた。気がついたら勝っていた。
緊張に耐えられなかったから。緊張に耐えてこそ得られる驚きと喜びを自ら放棄している。
喜びはともかく、驚きはあきらめている。それは、感動をあきらめることでもあるのだけれど。
朝、靴下を穿くと足首に刺すような痛み。な、なんだ?
靴下を脱いで裏返してみると、いました。ムカデ。つい叩きつぶしてしまう。南无阿弥陀仏。
ずーんとした痛みが4時間たった今も続いている。が、激痛というほどでもない。
まあな、ムカデにとってみれば、ちょうど良い休憩場所を見つけて喜んでいたところに大きな何者かが侵入してきて押しつぶされそうになったら慌てるわな。
前々から、お葬式は延立寺の本堂でと希望されていた方が本日ご往生された。99歳。
しかし折悪しくお盆に入る。本堂が空くのはお盆過ぎ。一週間先。
大変残念ながら他の式場をお使いいただくこととする。人のいのちは都合通りではない。
書斎のMacにつないでいるキーボードはUSBの有線。それがなぜかしばしば認識されなくなった。どこかで接触不良を起こしているのだろう。何回か挿し直して認識に持ち込む。
それが面倒で、新たにキーボードを買った。Bluetoothのワイヤレス。これがもう快適で。目の前のケーブルが消えてすっきりしたのもいい。
しかし有線より無線の方が安定しているってどうよ。
某仕事を共にしていた同志が異動するにあたり慰労会。
開始してまもなくからの記憶がなく、記憶があるのはJR中央線の終電の中から。
西八王子駅からタクシーで帰宅。
記憶はないが、いい夜だったことは確信している。主役氏が、異動先でも活躍してくれることも確信している。
中学校時代の同級生の訃報が届いた。亡くなったのは一ヶ月以上前。
訃報に接しても大きな驚きはなかった。なんとなく彼は長生きしなさそうな気がしていたから。
常にクールで、熱くなったところを見た記憶がない。特に親しくしていた奴も思い浮かばない。いつも俯瞰しているような印象。
私が最後に会ったのは3年前。私が網膜剥離で入院している時に、たまたま同じ病院に入院していて、家族面会室で短い話をした。
その前は、中学校の同期会。私が幹事を務めた時に、「まっちゃんが幹事なら行かなくちゃな」と、本当に久々に出てきてくれた。
1年前に大病をして、回復しなかったらしい。
南无阿弥陀仏。
本日、お葬式勤修。
故人の姓は田邊。
しかし喪主やご親戚から出された供花に差してある表記が「田辺」「田邉」「田邊」、そして「田邊(のしんにょうの点がひとつ)」の4種類。ここまで見事にバラバラだと、わざとかとも思ってしまう。みなさんご親戚なので、同じ田邊のはず。なぜこんなことに。用意した業者は同じなのに。発注時にそれぞれの字で書いてしまったのか。
今朝、NHKの『朝イチ』にMAX出演。改めて聞いてみると良い曲ばかり。私の好み。
元は安室奈美恵と一緒にやっていたのでなんとなく小室哲哉の曲を歌っているような気がしていたが、今検索してみると小室哲哉とは接点がなく、曲の提供者もバラエティーに富んでいる。
これまでメンバーの交代などがありながら今は元のメンバーに落ち着くところなど、仲の良さや性格の良さが伺えるのもいい。
私は三井住友銀行をメインに使っている。が、八王子市内には設置されているATMがわずかに2ヵ所!しかない。みずほはけっこうあるんだが。
こんなに不便なのに三井住友銀行を使い続けている理由はなんだろう。銀行を変えるのって面倒なんだよね。不便さを甘んじるほどに。
朝から大雨。
玄関の樋の左端から雨水が溢れている。物置の建物の樋からも。樋に枯れ葉が詰まっているのだろう。晴れたら掃除しようと思う。が、晴れたら樋のことはすっかり忘れてしまうのがいつものこと。備忘録として書いておく。
格闘技関係の本を専門店鬪道館に持ち込んだ。段ボールに二つ分。しかしすでに在庫が十分あったり価値がなかったりで値段が付かなかったものが半分。段ボール一つを持ち帰ることに。査定額1940円。決して高い金額ではないが、他店に持ち込んだら0円確実なのでまあいいとする。
店は巣鴨駅前。店内には格闘技関係の本・雑誌・ビデオ、フィギアや仮面レスラーのマスクなどが溢れる。価格も、マニア向けの店には往々にしてふざけるな的な値付けをしていることが多いが、ここは常識的というかむしろ安い気がする。また足を運ぶ予感。
夕方、境内にヒグラシが鳴いた。
冷蔵庫の奥に眠っていたピーナッツクリーム。賞味期限2007年5月。12年前。とっくに開封済み。これを最近おやつ代わりに食べている。普通に美味しく、本日完食。気持ちよし。小さな達成感あり。
さて、またまた出てきた賞味期限切れ食品。サラミソーセージ。賞味期限は、97年7月。22年前。しかし、そもそもサラミソーセージは保存食である上に真空パックされているので見た目は異常ない。どうしようか思案している。
部屋に置いてあるCDの配置を大幅に変えた。この30年来、一番手に取りやすいところから順番にJ-POP、洋楽、ジャズ、クラシックと並べていた。
それをジャズ、洋楽、J-POPの順にした。クラシックは以前も別棚にしており、それが都合がいいのでそのままに。
J-POPを遠ざけるようになったのは、このところ、言葉がうるさく邪魔に感じられるようになったから。言葉というより、意味がと言った方がいいかも。外国語は私には言葉ではない。今の私にとって一番心地良い音は、野鳥の鳴き声。
夜、八王子でタブーカフェにお声かけいただいた。
お茶を飲みながらタブーなし、ここでの話題は外に漏らさないことに同意した上でガチ討論。今回は一応「死」をめぐってということで、席についたのは念仏僧の私、医師、福祉生協職員、フードバンク主宰者、謎のクリスチャンなど、死とは遠からぬ人たち。
酒の用意はないが飲むのはOKタブーなしとのことで、ビールを半ダース持参。それもあって楽しかった。
私は遠慮なく話したが、私などの遙か上の率直発言噴出。中身は門外不出のため書けません。