合理化が異端
私の誕生日。本日で59歳になりました。還暦の背中が見えてきた。
夜、八王子市内の葬祭業者と僧侶との懇談会。
本日は特別ゲストからキリスト教講義があった。
目的はキリスト教における「死」を学ぶことだったが、その限定としてキリスト教自体を知らなければ話にならない。そのための基礎講座。
基礎講座と言っても内容はかなり深い。私の手に余るもの。
その中でとても興味深かったのが、異端判定。キリスト教では、教義を合理的に解釈したものはみな異端と見なされるという。人間の理性の枠内に矮小化する作業だということか。仏教、特に浄土真宗では異端は秘事法門に代表される非合理的に振れたものとなるのと対照的。
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