『プライベート・ライアン』

京都日帰り会議。

新幹線内でDVDにて『プライベート・ライアン』。ずっと観たかったものの169分という長さに敬遠していた。車中観賞だからこそ手を出せました。

1人を救う為に8人が命を懸ける。その設定が示すのは戦争自体の理不尽さというより、上層部と現場の乖離なのだろう。
設定の無理を補って作品を成立させているのは人体破壊のリアルさ、そしてぼつりぼつりと挿入されるエピソード。

その一つ。ライアンとミラー大尉との会話「どうしても、死んだ兄の顔が思い出せないんです」「場面を思い出すんだよ,場面を」
そうしてライアンに最初に甦ったのは、兄の彼女をめぐる間抜けなドタバタ。それは入隊を翌日に控えた兄の切実で切ない行動だった。

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『あの、夏の日〜とんでろ じいちゃん』

大林宣彦監督、尾道新三部作の三作目。

老いて言動や行動が怪しくなってきた祖父との夏休み。小林桂樹の軽さが老いをファンタジーに変えてしまう。それはどんな人生のどんな瞬間にもきらめきがあるという、監督の生へのまなざしそのもの。

DVDには特典映像として監督の語りが実に20分収録されている。大林監督の話、質朴というんでしょうか。決して激することなくゆるがない芯の強さと、目の前のものへの愛情をいつも感じさせる。かつてテレビ番組「エビ天」の審査員をしていたとき、なんてことない作品が大林氏のコメント一つでとたんに深みを与えられたことを思い出す。

この映画に出演していた山本晋也氏が撮影中にこんなことを言って喜んでいたそうだ。
「おお、この組はピーカンをやっている。時間かかるよね、待ち時間あるよね。その間においしいお酒が飲めるよね。みんなでいっぱい話ができるよね。だから組の雰囲気がいいんだよね」
ピーカンとは、空の青さに露出を合わせること。そうすると近くの人物たちは暗くなってしまうので強力な照明他の用意がいる。郷愁をさそうあの空の青さは力技の賜物だった。

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『笑の大学』

京都で日帰りの会議。

帰りの新幹線の中ではDVD『笑の大学』観賞。
昭和16年、紀元2600年。検閲官と笑劇団の座付作家との攻防。笑を全然理解していない検閲官の無理難題を作家が受けて立つうちに、検閲は実質的に喜劇台本を練り上げる共同作業になっていく。

本直しは作家の闘いそのもの。権力の横暴に席を蹴るのが闘いではない。闘いとは、状況を少しでも変えるために、少しでも実を得るために、幾重もの条件をしぶとくしぶとくかいくぐること。

途中から泣けてしょうがなかった。作家の喜劇への愛の深さに。それゆえのしたたかさに。ひるがえって俺は何をしている、何をやっているのか。

「闘う君の歌を闘わない奴らが嗤うだろう。冷たい水の中を震えながら登っていけ」(『ファイト!』中島みゆき)

舞台の完成度はさらに次元が違ったという。再演を望む。

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『小さき勇者たち ガメラ』

連休中、唯一子どもにつき合って、次男と『小さき勇者たち ガメラ』を観に行きました。
ガメラの卵が一つだけ大事そうに島の中腹に置かれてる、たまたま巨大生物が二匹同時期同場所に登場する、ガメラがなぜか人間を守る、子どもたちがなぜか自分たちの使命に気づく、などなどに目をつぶることができれば、ほんとに楽しめます。良い映画です。名古屋市街の破壊シーンの迫力(いや、もはや恐怖)はすごいし。子どもたちのがんばりにはちょっと泣いちゃいました。
上記のムリ設定に一切説明をしないところなんか、少々、というよりかなり宗教的(人生の理不尽をとりあえずそのまま受けとめる)趣さえ感じさせます。

世界の危機を無垢な子どもが救う。『風の国のナウシカ』に代表されるこのテーマは、内田樹氏によれば日本は特に多いらしいですね(言われてみれば確かに、アメリカ映画では子どもは邪悪の象徴に扱われています)。
そういう意味で、極めて日本的な作品とも言えます。

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